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写真の「読み方」 [写真]

先日、本屋で立ち読みしていたら偶然ある懐かしい名前を発見した。吉田純写真集「吉本隆明」の写真家、吉田純氏である。振り返ってみるとこの人との出会いが、私が「写真」にのめり込むきっかけとなったと言っても良い。35年も前のことなので、氏は多分私のことなんか記憶していないと思うが。

出会いと言っても、たった一度、それもほんの1時間かそこらの短い時間だった。しかし、間違いなくこの人の事務所で過ごした濃密な一瞬が、今の私に大きな影響を与えてくれた。一言で言えば、写真の「読み方」を教えてくれた人なのである。

ネットを検索すると「現代写真教室 (有)ジュンフォト」というHPがあって、そのなかのワークショップに氏の略歴、そして「1枚の写真との出会い」について書かれている。出会った当時、氏が私に話してくれたそのままの言葉で…以下引用。

>>1959年のマグナム写真展で私は一枚の写真と出会い、写真の道に入ることを決意した。それは第二次世界大戦が終戦をむかえるフランスのある小村の出来事を記録した.マグナムの創立者ロバート・キャパの一枚の写真である。画面の奥に三色旗が見え、道は右前方に傾いている。子供を抱え、裏切り者として丸坊主にされた女性とベレー帽を被り袋を背負い大股で歩く亭主らしき男。ヨーロッパの歴史を感じさせる石畳の道から溢れるほどの群集が、<ナチへの裏切り者>を罵っている写真である。<<

キャパの「解放の日」の1シーン。私は、いや私も、この1枚の写真が写し撮ったドラマのすごさに圧倒された。後年、クロード・ルルーシュの映画「愛と哀しみのボレロ」(1981公開)に似たような場面があってハッとした。おそらくこの写真が映画監督の描く世界のモチーフになったのだろうと思う。

20代後半にさしかかってなお、人生に迷っていた当時の私の仕事は、食べるためにたまたま潜り込むことの出来た出版社で、様々な事業主の立身伝を活字にするための営業と言ったようなモノで、自信も誇りもない日々の取材に明け暮れていた。言わば「糊口をしのぐ」生活にあった。

吉田氏はそんな私を見透かしたように、ズバリ、ズバリと逆に質問を投げかけながら、書斎の中に10枚ばかりの全紙の白黒写真パネルを並べて「これらの中で私が言いたいことは1つだけなんだ。それが分かったら好きに書いて良いよ。」と、そう言われて困惑したのを覚えている。

その後、写真を趣味としてのめり込み、日本リアリズム写真集団に一時在籍し、今日の自分の生業とするようになったすべての「きっかけ」はこの時の写真にあったと思う。DAYS JAPANという写真誌があり、その表紙に「1枚の写真が国家を動かすこともある」と書かれた帯がある。

現在、私の撮っている写真は「作品」ではなく、「商品」である。突き詰めて言うと自分が撮りたい写真ではなく、人が欲しいと思う写真である。お客様、クライアントが望んでいるイメージをよく理解してその要望に出来るだけ応えられるような写真を心がけて撮っている。

しかし、作品であろうと商品であろうと、たとえ記念写真や証明写真、風景写真であろうとも1枚の写真の中に切り取られる絵には、必ず何らかのドラマが隠されていると思う。いや、そんなドラマを内包する写真を撮り続けていたいと思う。

出張撮影受け付けます-ポートレート写真 [写真]

すでに紹介しましたが、遺影写真のご注文を受けております。
多くの場合、亡くなってから慌てて写真を探すケースが多いようです。
写真選びの場に参加させて戴く場合もあります。
過去のスナップの中から「良い写真」を選ぶのですが、ご親戚の方々にそれぞれご意見があって、なかなか決まらないケースもあります。
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私は、写真の顔が、・なるべく大きく、・ピントのはっきりしたものを選んで戴くことを基本として、個人の元気な頃の、明るい表情を選んで戴くよう助言します。式に参列された方々が、合掌するときに遺影写真を見て、懐かしく想い、ご本人との思い出に浸ることの出来るような写真が望ましいと思うからです。
「着せ替え」なども行いますが、その場合もご遺族の方に伺い、なるべく本人が好きだった色、服の種類に似せた着せ替え加工をします。

人は、その運命の成り行き次第で遅かったり早かったりしますが、必ずいつか亡くなるときが来ます。自分が亡き後、生涯、関わり合った人たちに自身の「思い出」は、否応なく遺ります。そんな時、感謝の気持ちをしっかり残し、子孫への「記憶」を残すことはとても意味のあることではないでしょうか。「写真」もその大きな一つの要素であると思います。さて、そこで私が提案したいのは、自分のポートレート写真を時々撮っておくことです。時々自分のことを思い出してくれる人たちに、自分の「気に入った」写真を遺すのです。ご家族の方が写真を探し、選ぶ苦労を軽くすることにもなります。

ポートレート写真は、「葬式の準備」ではありません。離れて生活する場合も、1枚飾ってもらうことで「身近に」感ずることが出来るのです。アメリカ人などは職場に家族の写真を飾るのが当たり前なくらいです。自分でなかなかうまく撮れない方のために、ご自宅まで「出張撮影」いたします。ロケ撮でも結構です。色々昔話など聞かせて戴きながら、一番良い表情を撮らせて戴きます。

残される家族への思いやり [写真]

葬儀の遺影写真を手がけるようになって15年くらいになります。
今まで数百人の遺影写真を制作させて戴きました。
葬儀(お通夜と告別式)で祭壇に使う写真はスナップの写真から作る場合が多いのですが、様々です。
おしなべて、あまり「良い写真」と言えるものが少ないのです。
「縁起が良くない」ということから、葬式の準備をするものではないからです。

しかし、常々思うのですが、人は必ずいつか死ぬものです。
多少早いか遅いかはあっても、いつしか必ず寿命は尽き、人と別れなければならないのです。
葬式の遺影写真は、その人の人生で往来した人々との最後の「お別れ」です。
だから、出来るだけ「良い思い出」に残るような写真があると良いなと思います。
後に残される人たちへの「思いやり」と言っても良いと思います。

写真家のはしくれとして、私はそういう心がけの方の写真作りをお手伝いします。
ご自宅に伺い、世間話や昔話、時には自慢話なども聞かせて戴きながら、
その人らしい最高のほほえみの写真を撮らせて戴きます。
そして「肖像写真」として納めます。いざというとき、それが遺影になるのです。
準備をしておくと意外にその時が巡ってこないと言うこともありますが。

東京スカイツリー [写真]

便利なYou Tubeで時々、こんな動画を観ています。
http://www.youtube.com/watch?v=ry_WACFd8Ds&feature=related
同じ歌でも歌手が変わると、あるいは前置きの「語り」によって、ずいぶんと心にとって響きかたが違ってくるものだと思います。

と言うわけで、先月末久しぶりに東京へ行ってきました。寒波のおりフライトが心配されましたが、概ね快適な空の旅でした。千葉県上空で件のスカイツリーが見えました。羽田空港も随分変わった印象でした。色々と歩き回って、幾人かの人たちと会って色んな情報交換をした二日間でしたが、北海道の田舎にいて得られている情報の範囲と実際の肌で感じる印象には、それほど大きな差はないのだなぁと感じた二日間でした。
 しかし、隔世の感があったのは、昔と同じような無言の電車通勤の中で約8割の人が何らかの通信機器に目を落とし、耳にイヤホンを挿しているという風景です。携帯でありゲームでありiPhoneでありiPodであり…。

 そして東京スカイツリー。時間があったので押上の駅まで行ってみました。ところが押上駅はツリーのほぼ真下にあるため、ツリーを見るには不都合であることが分かりました。何度も振り返り、空を見上げながら南東方向の運河沿いに離れていって、1キロくらい離れてみてようやくツリーとその街の周辺が分かるという具合でした。途中、沢山の観光客と何人もの同業者(カメラマン)を見かけました。街の歩行者も商店の人も、なんとなくソワソワ、ワクワクしている感じで、街全体が落ち着かない雰囲気…それもそのはずです。世界一の電波塔がすぐ真上に見られる街なのれすから。あっ失礼、噛んでしまいました。写真をどうぞ。
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雲竜?? [写真]

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夕方、家に帰ると妻が「不思議な雲!」と言って、自分の携帯で撮った写真を見せてくれました。
1枚目は箱館山との位置関係。
2枚目は視界一杯にとらえたもの。
「飛行機雲」とは全然太さが違うし、
第一こんな位置を飛んでいません。
普通の雲とは全く違う帯状の雲です。
どうしてこんな雲ができたのでしょう。
大地震の前触れでしょうか。

賀詞奏上 [写真]

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あけましておめでとうございます
ギリギリ松の内にご挨拶。

ことしはもう少し頻繁にblogを更新したいと思います。
しかし、実をいうとblogよりも、ホームページ作成の方に興味があります。
今まで、出来るだけ予算をかけないネット利用を画策して来たのですが
暮れに念願だったmacbookを購入、Mobile meというソフトを利用すれば
安く発展性のあるホームページかず作れそうなのです。
iLifeとiWebもスタンバイしました。

さあ今年はパピエールが一体どのような進化を遂げるか、
乞うご期待です。

朝のドライブ [写真]

秋になり、澄んだ朝の空気が景色を際立たせるようになりました。
巴大橋の上から見える朝の函館山です。

港の風景もこの夏函館ドックの巨大クレーンが解体されたために
ガラッとその印象を変えました。いまだにこの風景を見るたびに、
あのクレーン(ゴライアス・クレーンと言ったそうです)が
あった時の風景を思い出します。

遺影写真について [写真]

仕事で葬儀の「遺影」を作っています。ここにその一端を紹介します。
大半は葬儀屋さんからの御注文ですが、時々知人とか一般の方から御注文をいただきます。
最近は、証明写真みたいなのは減って、スナップ写真から普段の笑顔を取り出し、
ちょっと着せ替えたりそのまま使用するというケースが増えています。
額(フレーム)も、いかにも葬儀用の黒、というのより明るい方が好まれます。

遺影用写真を用意するのは「縁起でもない」と敬遠される方が多いのかも知れません。
しかし、仕事をしていていつも思うのは「せっかく飾るならもう少し良い写真を」ということです。
普段の心がけなのでしょうが、「本人が良い写真を準備していた」ということが、ごくたまにですが、あります。そういう場合ほとんどはしみじみと個人が忍ばれる「自然な」写真です。
葬儀の列席者が在りし日の故人を偲んで「遺影」に手を合わせる…一瞬、人の姿が美しくなります。

ふたたびRobert Capaについて [写真]

前回リンクさせて頂いたMagnum Fotosのページ・写真が表示されていないようです。
そこで、この写真をぜひ見て頂きたいので、アクセス方法をお知らせします。
1. Magnum Fotosのページにアクセスします。
2. そこからPHotographersにクリックして入ります。
3. 写真家リストのCapa Robertをクリックします。
4. そこのPortfolioを表示すると、その19番目の写真がそれです。


ドラマチックな写真 [写真]

マグナム・フォトスのHPを見つけました。ロバート・キャパのphotographを見ていて、その中の懐かしい写真に見入ってしまいました。以下で検索出来るかな?

http://www.magnumphotos.com/Archive/C.aspx?VP=Mod_ViewBox.ViewBoxZoom_VPage&VBID=2K1HZOYXSPBSG&IT=ImageZoom01&PN=95&STM=T&DTTM=Image&SP=Album&IID=2S5RYDWV0ZLH&SAKL=T&SGBT=T&DT=Image

実はこの1枚の写真が、今の私の職業を決めたと言えるものです。

今から32年ほど前の事です。ある雑誌のインタビュアーのような仕事をしていた私は、1人の写真家に会いました。その人から見せられた写真の中にこの1枚がありました。他にも沢山のすばらしい写真を見せて頂いたのですが、ものすごくインパクトが強かったのがこの1枚です。

1944年8月18日、パリ解放の時の一コマ。ドイツ兵との間に生まれた子供を抱きかかえた女性が、頭を丸められて町から追い出されようとしている場面です。周囲の市民達はドイツ兵と仲良くした女に悪罵を浴びせているようです。前を黙々と歩くのは彼女の田舎から迎えに来た父親でしょうか。その胸の内やいかに。

侵略した軍の1兵士と恋に落ちたのか、あるいは周りの人々の「生活を支えるため」親しくしたのか…事情はわかりません。しかし、大きな写真で見るとこの女性の表情は決して泣きうなだれていません。毅然として己の運命に責任をとっているかのようです。

占領下で苦しい生活を強いられた町の人々にとって、この女性の所行は許し難いものだったのかも知れません。しかし、それを誰が責められるというのでしょうか。キャパのレンズはしっかりとその「不条理」を捉えて克明に人間社会のドラマをえぐっているのです。写真の力の凄さを感じた1枚です。

この写真の場面にインスピレーションを得たに違いない映画がありました。クロード・ルルーシュの「愛と哀しみのボレロ」です。ドイツ兵と仲良くしていた女を「密告」する女達の醜悪さがにじみ出ていました。「戦争」が生み出す悲劇とその傷痕が癒される日は来るのでしょうか。

私の身近にはなかったけれど、米軍占領下の日本でも似た様な事情は数多く生み出されていたはずです。米軍兵士と仲良くなり色んな物的支援を受けた女性達の話は聞いた事が有ります。蔑視を込めて「パンパン」と呼ばれた女性達がいたのです。

この写真を見て初めて、私にとってそれまで趣味で撮っていた写真がガラリと変わった様な気がします。今仕事で撮っている写真はこんなドラマチックな写真ではないけれど、しかし写真の持つ力、人にとっての意味においては大差がないのではないか、と思っています。

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