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2015年 [生活]

まずは、あけましておめでとうございます。
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羊年ですが、いつまでも「迷える子羊」ではなく、優しい声音で怖ろしい事を企むオオカミをやっつける賢い羊になりたいものです。

収穫の秋、函館 [仕事]

ちょっとだけ「暑い夏」を味わったかと思ったら、もうすっかり秋です。もう少し夏が長くても良かったかなぁと思いつつ、仕事は秋モード。第一弾が幼稚園の「おいも掘り」、そして中学校の「文化祭」。このあと「リンゴ狩り」も3つばかり予定しています。
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夏の間も、集中豪雨とか強風とか色々と農家にとっては心配の種があったようですが、馬鈴薯(じゃがいも)は土の中ですくすくと育って味もよく豊作だったようです。

 ここ函館周辺はイカやマグロ、がごめこんぶをはじめとした海産物が全国的には知られていますが、実を言うと、畑も優秀で木古内の男爵いも、厚沢部のメークィーンのほか、葉物も根菜も豆類もリンゴもすごく美味しいものが豊富というのが実感です。さらに牧畜も盛んで黒毛和牛もあれば濃くて美味しい牛乳もあり、はっきりした四季のある気候の良さと合わせて人が住むには最高の環境だと思います。
 かつて「住みたい町第一位」に選ばれた事もある函館市内は現在、住環境の問題点をいくつか抱えておりますが、真に一位になるためのポテンシャルは充分にあると思っています。

写真の複写・拡大縮小加工、その他 [仕事]

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 *写真をクリックすると拡大してご覧になれます。
以前から好評のワークです。実績の一例をご紹介すると、「工事現場の工程写真」「住宅建築物の電柱消し、芝生張り替え」「古い写真のキズ・汚れ・退色修復」などで評価をいただいております。
 註:料金は最小単価です。実際には加工元版とご希望の加工内容からお見積もりいたします。また、著作権、肖像権、公序良俗に反する恐れのある仕事はお断りいたします。

函館の新盆、同期会 [生活]

今日から盆の入り。ここ函館は新盆なので。私は11日にお参り(仏壇)は済ませました。色々仕事の都合でこの時期は忙しいのでいつも早めです。私の実家は札幌なので、そちらは旧盆ですが、込む時期に移動したくないので8月の初めのうちに墓参りする予定です。盆の直前とか終わった後は普段より道路も空いています。

盆中は結構撮影とかもあります。例えば学校の同窓会、同期会などはこの時期に多く、写真屋の出番(集合写真)もあります。昨日も一件撮影し、1時間後の納品をやりました。撮影後メールで予約しておいたラボ(現像所)に画像を送り、会場から取りに行って戻ると人数・枚数にもよりますが、早ければ1時間後の仕上がりも可能です。地方から参加した方と幹事の方々に喜ばれます。

オリンピックが終わって [スポーツ]

 早いもので、オリンピックが終わって一週間。しばらく感動の余韻に浸っていましたが、世の中の動きは激しく、次から次へと色んな出来事が流れていきます。
 私の関心事のキーワードは卒業、未来、開幕、原発、憲法、外交、NHK、消費税などなど。
日常の仕事の流れでは、「卒業」シーズンに突入です。学校を卒業することによって若い人々は次の「未来」へのステップを踏み出します。スポーツでもプロ野球、サッカーをはじめとしてシーズンが始まります。夢の始まりです。日ハムのドーム開幕ゲームも去年に続いて観に行くことにしました。日ハムのキャンプ情報など観ていると、今年はすごく良く仕上がっているように見えます。しかしその一方で他チームの戦力、仕上がりなど未知数なので、実際はどうなのか不安もあります。
 この間のスポーツ観戦を通じて、「孫子の兵法」特に「彼を知り、己を知れば百戦危うからず」というフレーズの大切さを感じています。NHK大河の黒田勘兵衛もそう。朝ドラの「ごちそうさん」でも戦時中の自己過信が描かれています。
 全然違う話のように聞こえるかもしれませんが、撮影の仕事も「写真を撮る」事以上に撮る対象をよく知ることが求められます。言い換えれば、対象について何も知らなければ、本当に良い写真は撮れません。背景であったり、タイミングであったり…だからまずよく「観察」するところから始まるのです。出来れば事前にその背景なども勉強しておく必要があります。楽しい仕事です。
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 昨年から今まで愛用してきたデジタルのキャノンのシステムに新たにニコンのシステムを加えました。オートフォーカスの能力から、キャノン一辺倒でやってきたのですが、解像度とデジタルエンジンの良さも気になり、ニコンの併用に踏み出してみました。結果、カラー調整に満足を得ています。まだ「使いこなす」域には達していませんが、撮影環境や条件によって自分がどんな撮影にきちんと対応できるのか、スキルアップが求められます。楽しい仕事です。

女子フィギアを観て考えた。 [スポーツ]

 本日未明のショート・プログラム、日本中で観ていた人たちから悲鳴が聞こえたような気がします。最終滑走の真央ちゃんのまさかの失敗。不安が無かったわけではありませんが、今回に限っては相当に「強くなった浅田選手」を期待していました。しかし、それを上回るプレッシャーの凄まじさ。
 後から考えると悔やまれる事が次から次へと出てきます。前半の団体に出た選手達が羽生選手を除いてみな「大不調」です。フィギア団体を最後に持ってくればまた違っていたかも…。私はリプニツカヤがジャンプでまさかの失敗をした時、わるーい予感がしていました。

 私が思うのは、浅田選手のプログラム構成です。なぜ、失敗の多かった不安のある3アクセルを冒頭に組み込むのか。キムヨナはじめ、他の外国選手達のように安定感のあるコンビネーション・ジャンプを冒頭に持って行ってたなら、難なく成功させたでしょう。そこで観客をガッチリ掴んだところで、中盤から後半にアクセルにチャレンジしても良かったのではないか。「浅田真央と言えば3アクセル」の看板にこだわりすぎていたのではないか。浅田選手の実力からして、キム・ヨナやソトニコワ、コストナーと同レベルのプログラムでも、充分上の得点が狙えたと思うのです。トリノの荒川選手も、技術点よりも芸術点、表現力で金メダルをつかみ取りました。
 浅田選手がバンクーバーでの悲運をはね返すためには、ショート・プログラムでトップかまたはトップに2点差以内に着けていなければならず、そのショート・プログラムの冒頭の3アクセルが成功するかどうかにかかっていると言うこと。誰もがそれを知っていて固唾をのんで見守っていた。つまり「この一瞬にすべてが決まってしまう」くらいの大プレッシャーを自分から作り出してしまったのではないか。この3アクセルの失敗で今回のすべてが決まってしまったのですから、今後の日本のフィギア界は、教訓として欲しいと思います。と、以上は私の勝手な思い込みです。

 思えば、女性本来の優雅さ、流麗な芸術性を重視して来たフィギア界に革命的3回転半のテクニカル・タームを持ち込んだのが伊藤みどり選手でした。それ自体は画期的な事であったと思いますが、それがすべての選手に向いているとは思いません。高速回転ジャンプは女性として成熟しきっていない「少年性」を残している若い選手にとっては、難なくこなす事の出来る技術です。しかし、大人になるにつれて身体は重くなり、難しくなる技術です。女性が高難度のジャンプをこなすには、筋力トレーニングなどで身体を作らなければならないでしょう。でもそれでは美しさ、優雅さ、柔軟さが失われるような気がします。

 似たような事はモーグルの上村愛子選手とハナ・カーニー選手の滑りの違いにも言えます。コブにスキーをぶつけて廻す上村のカービング・ターンとコブの面を滑らせて廻すカーニーのスライド・ターンの評価のわずかのポイント差が、明暗を分けました。タイムでは上村が速かったけれど上半身の上下動の少なさでカーニーの方か滑らかな滑りに見えました。上村もそれは「解っていた」様ですが、長野からずっと追求し続けて来た、自分の攻めの滑りを捨てる気は無かったのです。
 真央ちゃんもきっとそういう事なのでしょう。「たとえ失敗しても私が私である事を証明したい」それが冒頭のトリプル・アクセルなのかもしれません。失敗はしましたが、その心意気に「天晴れ」です。

ソチ五輪 選手の活躍

 女子ジャンプの高梨選手、五輪初代チャンピオンの夢は叶いませんでした。彼女が本来の強さを発揮できれば、ほぼ優勝確実だったのですが、メダルにも届かなかった。これがオリンピックというものなのでしょう。インタビューに応える彼女の律儀な姿に打たれます。「また次回があるさ、頑張れ」です。
 その一方でスノボー・ハーフパイプの平野、平岡両選手の銀、銅…見事です。平野選手は一位でも良いのではと思いましたが、競技の技術などよく分かりませんから何とも言えません。青野選手は自分の必殺得意技が決められずに残念でした。大体このハーフパイプとかフリースタイルというのは、アクロバティックな技が判定基準になっていてダブルコーク何々とかテン・トゥエンティとか、理解していないと何がなにやら…。「3回転」とか「2回ひねり」とか言ってもらえると分かりやすいと思います。
 もともと過激なスポーツを集めて開催される「Xゲーム」から発展してきたもので「賞金目当て(1位=2000万円位)」なために、ワールドカップなどにはトップ選手は出ないそうです。オリンピックで優勝したりすると、賞金そのものはなくても、スポンサー料とかCM出演料とかが跳ね上がるので、選手もやる気になるそうです。
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 ノルディック複合に長野以来のメダルをもたらせた渡部暁斗は複合競技に新たな歴史の1ページを書き込んでくれました。ジャンプの葛西紀明選手…41歳、伝説となりつつある銀メダルです。翌日の国会質問で園田議員が「彼の決してあきらめない努力、我々政治に携わる人間も見習わなければならないと思います」…全くその通りで、何の報酬も見返りもない中で、コツコツ努力し続ける葛西選手の姿は、安定した職場で自分を守ることだけに汲々としているすべての日本人が見習うべき「夢のある生き方」を教えてくれています。

 大会終盤に向けて最大の関心事は女子フィギアでしょうか。
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色々と下馬評が喧しいですが、今の勢いを見ていると金=リプニツカヤ、銀=キム・ヨナ、銅=浅田真央となるような気がします。
 真央ちゃんが本当に金を取るためには、まず最初のSPで代名詞の3アクセルを完璧に跳べるかどうかです。回転不足とか両足着地などは論外です。彼女の決めの大技が、成長した女性の身体にかける負荷は大きすぎるようです。その成功の確率が低いのです。3アクセルを含めて演技構成を完璧にまとめることが出来れば、最高位も狙えると思います。ただし、キム・ヨナが、リプニツカヤが完璧な演技をすれば、勝敗結果は「時の運」でしょう。総合で220点代の争いとなるのでしょうか。

クールにソチ五輪 [スポーツ]

 大好きなオリンピックに釘付けです。しかし、今回は各競技決勝の主要な時間帯が夜中に行われるので、リアルタイムで一喜一憂するには厳しいものがあります。
 序盤戦を終えて、振り返ってみると大体「予想通り」の結果です。ジャンプ、スピードスケートなど「期待されたメダル」に届いてはいませんが、日本選手はみんな本当によく頑張っていると思います。自己ベストの結果が出せれば…という種目もいくつかありますが、みんながみんなオリンピックの本番で自己ベストを出したとしたら、やっぱりメダルには難しいのが現実です。「勝負は時の運」なのです。選手たちは「過剰な期待」には応えられなかったからといって恥じる必要はありません。それはそれとして、その瞬間に向けて切磋琢磨してきた選手の姿には感動させられます。
 ただ、前半の採点競技、例えばモーグルとかスノボー、フィギアを見ていると、競技に入る以前にその選手が世界選手権とかワールドカップで積み上げた「実績点」が「持ち点」として加算されていることが分かります。それって「競技の評価」としてどうなんだろうかという疑問は残ります。上村愛子選手は私の中ではおめでとうの銅メダルです。フィギアの採点なども、素人には分かりにくいものとされていますが、「プロの目」と「素人の目」のギャップが大きくなれば大きくなるほど、その競技の人気は失われていくだろうというのが、私の考えです。フリースタイル、ハーフパイプ、スロープスタイルなど、歴史の浅い競技はこれからもレギュレーションや採点基準の変更がつきまとうでしょう。その度に「訳の分からない評価」がされそうです。速さとか距離とかを競う、誰が見ても一目瞭然な競技は見ていても清々しいものです。

 さて、前半の日本選手の活躍ですが、印象で言うとフィギアの羽生弦選手のSP演技が圧巻でした。地元ロシアのレジェンドとなったプルシェンコを「ねじ伏せる」くらいの力強さを感じました。彼以外は、小さなミスも含めて実力通りの結果だったと思います。特に女子のFPのロシアのリプニツカヤ、アメリカのゴールド、イタリアのマルケイが充分にパフォーマンスを発揮した一方で、日本の鈴木明子選手には不満の残る結果だったと思います。女子FP.jpgリプニツカヤの演技終了後、日本選手の席で真央ちゃんが隣の高橋大輔に「すごいね」と言っていたのが口の動きで分かりました。本当に凄い15歳です。日本のフィギア、個人戦では堂々とミスのない演技を見せて欲しいと思います。結果はどうなろうと構いません、そもそも「持ち点」が少ないのだからメダルなんか考えずに自分の最高の演技をしてくれれば良いと思います。真央ちゃん…日本人は世界を見ずに真央ちゃんばかり見ていつまでも期待しすぎです。世界にはもう「新しい顔」が成長してきていることを認めざるを得ません。
 スピードスケートの500mで、オランダ勢がメダル独占です。前回バンクーバーでは韓・日・日と東洋勢が独占したことをオランダ・スケート界は地団駄踏んで悔しかったことと思います。その鬱憤を晴らしたオランダ・スケート界におめでとうです。
 日本選手団は本当によく頑張っています。しかし、「結果」が出ていないことで、これからの競技者にはさらに強いプレッシャーがかかりそうです。葛西選手は老練なので実力は発揮しそうですが、発揮したとしてもメダルは「運次第」でしょう。鉄板の金メダル候補、高梨沙羅ちゃんが心配です。リレハンメルの原田選手の例があります。メダル、メダルと考えずに飛ぶことが出来れば良いのではないかと思いますが…。

写真の「読み方」 [写真]

先日、本屋で立ち読みしていたら偶然ある懐かしい名前を発見した。吉田純写真集「吉本隆明」の写真家、吉田純氏である。振り返ってみるとこの人との出会いが、私が「写真」にのめり込むきっかけとなったと言っても良い。35年も前のことなので、氏は多分私のことなんか記憶していないと思うが。

出会いと言っても、たった一度、それもほんの1時間かそこらの短い時間だった。しかし、間違いなくこの人の事務所で過ごした濃密な一瞬が、今の私に大きな影響を与えてくれた。一言で言えば、写真の「読み方」を教えてくれた人なのである。

ネットを検索すると「現代写真教室 (有)ジュンフォト」というHPがあって、そのなかのワークショップに氏の略歴、そして「1枚の写真との出会い」について書かれている。出会った当時、氏が私に話してくれたそのままの言葉で…以下引用。

>>1959年のマグナム写真展で私は一枚の写真と出会い、写真の道に入ることを決意した。それは第二次世界大戦が終戦をむかえるフランスのある小村の出来事を記録した.マグナムの創立者ロバート・キャパの一枚の写真である。画面の奥に三色旗が見え、道は右前方に傾いている。子供を抱え、裏切り者として丸坊主にされた女性とベレー帽を被り袋を背負い大股で歩く亭主らしき男。ヨーロッパの歴史を感じさせる石畳の道から溢れるほどの群集が、<ナチへの裏切り者>を罵っている写真である。<<

キャパの「解放の日」の1シーン。私は、いや私も、この1枚の写真が写し撮ったドラマのすごさに圧倒された。後年、クロード・ルルーシュの映画「愛と哀しみのボレロ」(1981公開)に似たような場面があってハッとした。おそらくこの写真が映画監督の描く世界のモチーフになったのだろうと思う。

20代後半にさしかかってなお、人生に迷っていた当時の私の仕事は、食べるためにたまたま潜り込むことの出来た出版社で、様々な事業主の立身伝を活字にするための営業と言ったようなモノで、自信も誇りもない日々の取材に明け暮れていた。言わば「糊口をしのぐ」生活にあった。

吉田氏はそんな私を見透かしたように、ズバリ、ズバリと逆に質問を投げかけながら、書斎の中に10枚ばかりの全紙の白黒写真パネルを並べて「これらの中で私が言いたいことは1つだけなんだ。それが分かったら好きに書いて良いよ。」と、そう言われて困惑したのを覚えている。

その後、写真を趣味としてのめり込み、日本リアリズム写真集団に一時在籍し、今日の自分の生業とするようになったすべての「きっかけ」はこの時の写真にあったと思う。DAYS JAPANという写真誌があり、その表紙に「1枚の写真が国家を動かすこともある」と書かれた帯がある。

現在、私の撮っている写真は「作品」ではなく、「商品」である。突き詰めて言うと自分が撮りたい写真ではなく、人が欲しいと思う写真である。お客様、クライアントが望んでいるイメージをよく理解してその要望に出来るだけ応えられるような写真を心がけて撮っている。

しかし、作品であろうと商品であろうと、たとえ記念写真や証明写真、風景写真であろうとも1枚の写真の中に切り取られる絵には、必ず何らかのドラマが隠されていると思う。いや、そんなドラマを内包する写真を撮り続けていたいと思う。

日ハム-プレミアトーク [スポーツ]

とても幸運なことに、ファイターズの「プレミアトーク・ライブ・イン函館」の抽選に妻が当たり(1万通以上の応募からたった150名)、参加することが出来ました。当日まで誰が来るのか知らされていませんでしたが、写真の通り金子誠、稲葉篤紀の両選手でした。
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圧倒的に女性参加者が多く、熟年おじさんは肩身が狭く感じられました。特に稲葉選手の登場には会場が黄色い声援に包まれて、人気のすごさを思い知らされました。STVテレビの福永俊介アナの司会で、普段聞けない話とか、ゲームなどで楽しい2時間を過ごしました。選手と握手した後、主催者に撮っていただいた写真がこちらです。
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シーズンオフでも秋季キャンプの後、こうして各地でファンとのふれあいをしている選手の皆さん、本当にお疲れ様です。

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